資料:平頂山惨案

2014-06-27 15:01:55
新華網日本語より

資料写真

背景:平頂山惨案(日本では平頂山事件と称する)は「九一八事変」以後、日本軍が初めての中国庶民を大規模集団虐殺した惨案である。1932年9月15日、即ち農暦8月15日の中秋の節の夜、当地の民間の抗日武装隊の遼寧民衆自衛軍が「九一八事変」一週年の記念とし、撫順で駐屯している日本軍に攻撃しようと画策した。彼らは平頂山村を経た時、栗家溝にある日本人の商店を焼き尽くし、日本守備隊、憲兵隊と激戦した上、日本兵約10人を撃ち殺した。

 9月16日午前中、復讐するため、約200名の日本兵は平頂山を包囲し、村の3000名平民を事前に用意した虐殺場に追いかけ、火をつけて村ごとに焼き尽くした。虐殺は夕べまで続き、3時間をかけた。空が暗くなって細雨が降り注いだ時、屍の山から人が出てきて、生き残った人は30、40人しかなかった。

公祭:1951年から毎年の9月16日、撫順市は平頂山惨案周年記念祭を行う。その日の撫順市では警報を鳴らし、公祭文を読みながら虐殺された人々を弔う。平頂山惨案遺跡記念館で市長は酒を奉り、香を上げ、遺族がなくなった先祖を祀り、解放軍戦士が撫順市政府献上した花輪を飾っておく。この記念祭を参加していたのは撫順市の市民だけではなく、日本からの学者、弁護士、一般人も参加していた。また同時に、抗戦史学術検討会も撫順市で開催する。

(新華網日本語)

 当社サイトのコンテンツは著作権法によって保護されます。無断転用、複製、掲載、転載、営利目的の引用は禁じます。

010090080030000000000000011100381334430241