中央檔案館が日本戦犯、斉藤美夫の中国侵略罪行自供抜粋を公開

2014-07-22 10:49:31
より

(侵华战犯自供·图文互动)(2)中央档案馆公布日本战犯齐藤美夫侵华罪行自供提要

 重要な罪は次の通り。

 1937年11月初旬、「新京北、南憲兵分隊及び首都警察庁の厳重たる処分にすべき中国人は約30名」、「新京東北方約20キロの刑場に押送する」。途中全員射殺された。

 1939年8月8日、部下に、「山海関に於いて、河北押送部隊が河北より押送した中国人90名を孫呉に、其の中30名をハルビン石井化学部隊にて30名を残り、余りを孫呉に連れて石井部隊に引渡すべし」と命令を下達した。1956年6月17日、彼は訂正、補充の書き記しでは次のように述べた。「押送された人員の中で30名はハルビンに下車させられ、石井部隊の細菌化学生体実験に、孫呉に下車させられた押送人員60名は習志野学校(ガス部隊)と石井部隊の協同による毒ガス弾効能実験に特別演習用のために供せられたものになることを白濱大尉の事後報告により知った」。

 1940年8月より1942年6月迄に広州市内と周辺区域の一斉捜索を約200回実行した。「検束人員は1000名以上、検挙人員は200名に達し、其の中5分の一約40名は厳重な処分を附した」。

 1941年6月より1942年6月に至る間、「約3回に至り、広東憲兵隊に中国人民を厳重な処分として集団で屠殺(銃殺)させるよう命令した」、「約120名に達した」。(翻訳・編集/呉寒氷)

(新華網日本語)

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