中央檔案館が日本戦犯、今吉均の中国侵略罪行自供抜粋を公開

2014-07-30 08:45:46
新華網日本語より

(侵华战犯自供·图文互动)(2)中央档案馆公布日本战犯今吉均侵华罪行自供提要

 重要な罪は次の通り。

 1932年8月、抗日運動を鎮圧するため、「警察隊員500名、自衛団員800名を動員し」、「昌図縣城西門外2キロの地点に於いて愛国者6名を逮捕して」、監獄に置き、前後して全部殺害した。11月上旬、昌図駅附近に日本警察に「中国人農民を日本刀を以て斬首殺害」を命令した。

 1933年2月中旬、亮中橋通江口一帯に抗日民衆22、23名を逮捕した。1933年3月上旬、田振東司令の父田旺及び田司令の参謀長朱小飛と云う重要な人々14人を「昌図縣城南側の空地に於いて日本人警察官に命じて銃殺させた」。

 5月、熱河代理公署に赴任し、其の間、「警務長の人民弾圧、民政庁の鴉片生産為のケシ栽培に協力し」、中国人民を害毒した。

 1935年8月中に、実施された日本軍に依る珠河縣の治安粛清行動に参加し、ある部落で中国青年1名を逮捕し、「大豆畑の中で斬首殺害した」。又ある部落に青年5名を逮捕して来て、前後して日本刀を以て斬首した。尚粛清工作によって「540戸の家を焼き、3000数百名の人に路頭に迷わされた」。

 1943年、「龍江省泰康に矯正補導院が設立し」、前後して「反満抗日「分子」と愛国者2100名位を矯正補導院に送り付した」。「強制労働に服させ、多くの死亡者が出された」。

 1943年9月、「秘密に中国人1名を逮捕し」、酷い拷問を使用したが不毛、そのため注射で殺害し、死体を嫩江に投入した。

 1944年2月、抗日義士を「景星縣にて2名、洮南縣にて1名」逮捕した。6月に「愛国者42名を逮捕し」、チチハルの監獄まで投獄し、其の中の一人は残酷な拷問によって死亡した。

(翻訳・編集/呉寒氷)

(新華網日本語)

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