中央檔案館が日本戦犯、吉房虎雄の中国侵略罪行自供抜粋を公開

2014-08-06 09:42:25
新華網日本語より

 重要な罪は次の通り。

 1932年6月初旬、輯安に侵略する時、砲兵は「西門外に避難している平和人民に対して射殺した」。

 1932年6月上旬、輯安に所属憲兵は「城内平和人民約40人を抗日軍に通謀したとの理由を以て逮捕し、拷問の上、西門外川岸に於いて虐殺した」。中旬及び下旬、又同じ理由で2回分けて「輯安城内平和人民約20人を逮捕拷問した後、西門外川岸に於いて虐殺した」。

 6月上旬、臨江に所属憲兵は「城内平和人民50人以上を抗日軍に通謀したとの理由を以て逮捕拷問した後、臨江西南端附近鴨縁江岸に於いて虐殺した」。下旬、又「抗日軍に通謀したとの理由で」、「平和人民40人以上を虐殺した」。

 1932年9月下旬、輯安から通化道上のある村落で、所属歩兵は「平和人民たることを知得しながら」、約10人を「機関銃約30発を以て射殺した」。

 「1932年10月中旬、守備隊が輯安西方村落より強制連行した平和人民2名を」、「拷問したのち、抗日軍に通謀したとの理由を以て」、「輯安西側川岸に於いて守備隊下士官をして斬殺させた」。

 1932年10月下旬、「輯安から通化への道路上」、部下を指揮し「通化方面より避難して来た平和人民約10名を射殺した」。

(翻訳・編集/呉寒氷)

(新華網日本語)

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