重要な罪は次の通り。
1937年8月、抗日聯軍愛国分子1名を、「敦化縣城西側砲台山高地に連れて行き、部下の憲兵軍曹に命じて日本刀で首を切らせた」。
1938年末より1939年8月に至る間、抗日聯軍愛国者約8名を捕え、拷問取調を行った。其の内の「3名はハルビン第731部隊に特委処分として送致した」。
1939年6月の頃、中国人1名が死亡、原因は部下憲兵隊の拷問にある。「夜を利用し、山の中へ持って行かせ、打つ埋めた」。
1939年8月の頃、部下が捕えに行くとき中国人1名を致命的な重症を負わせ、遂に死に至ったため、「屍体は暗夜を利用して、牡丹江河に投げ棄てさせた」。
1942年8月より1943年8月に至る間、抗日人員の逮捕人数約80名。其の内「憲兵司令官の認可指令を得て、ハルビン第731部隊に送った人数は約20名」。
(翻訳・編集/呉寒氷)
(新華網日本語)
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