中央檔案館が日本戦犯、野崎茂作の中国侵略罪行自供抜粋を公開

2014-08-14 12:35:03
新華網日本語より

(侵华战犯自供·图文互动)(1)中央档案馆公布日本战犯野崎茂作侵华罪行自供提要

【新華社北京8月12日】中央檔案館は8月12日に日本戦犯、野崎茂作の中国侵略罪行自供抜粋を公開した。

 野崎茂作が1954年8月に書き記した供述によると、彼は1898年9月日本の静岡県に生まれ、1931年に中国東北で中国侵略戦争に参加し、嘗て奉天日本憲兵隊兵工場分隊曹長、懐徳縣警務科科長などの職に就任した。1946年1月15日に逮捕された。

(侵华战犯自供·图文互动)(2)中央档案馆公布日本战犯野崎茂作侵华罪行自供提要

重要な罪は次の通り。

 1931年10月より12月に至る間、部下を率いて前後して3回に渡って「張學良愛国軍兵士15名を逮捕し、部下の井上軍曹に私が命じて、拷問をし、12月25日に」「拳銃を以て銃殺させた」。

 1932年8月、部下を率いて奉天で愛国張海鵬の部下兵士5名を検挙し、拷問した後拳銃で銃殺した。

 1932年12月、憲兵を率いて庄河縣で愛国軍鄧鉄梅抗日武装兵士18名を逮捕及び拷問取調し、「荘河縣城北方500メートルの荘河の砂原に於いて、部下憲兵15名を現場で指揮命令して、18名を一列横隊に並べて騎兵銃で銃殺した」。

 1932年12月、憲兵を率いて大孤山西方の村落で抗日人員、共産党員5人を検挙して、拷問した後銃殺した。

 1933年2月、新京憲兵隊吉林憲兵分隊班長、憲兵曹長に在職した時、部下を率いて愛国団劉東波部下5名を吉林市外西南方2キロメートルの地点で銃殺した。

 1935年6月、奉天日本憲兵隊附属地分隊に在職した時、密山縣の「治安工作」に依り愛国李杜軍の部下兵士12名を検挙し、上からの命令を受けた処、全員銃殺した。

(翻訳・編集/呉寒氷)

(新華網日本語)

 当社サイトのコンテンツは著作権法によって保護されます。無断転用、複製、掲載、転載、営利目的の引用は禁じます。

010090080030000000000000011100001335545621