中央檔案館が日本戦犯、小林喜一の中国侵略罪行自供抜粋を公開

2014-08-15 15:53:32
新華網日本語より

(侵华战犯自供·图文互动)(2)中央档案馆公布日本战犯小林喜一侵华罪行自供提要

 重要な罪は次の通り。

 1935年11月中旬、私は部下に命じて、検挙した中国人1名を軍医に提供して盲腸炎手術の実験をした。後に「部下に命じて、他の3名と共に4名を赤峰北方1キロメートルの河原で軍刀を以って殺害させた」。

 1936年7月上旬、部下に命じて6名の中国人民を「赤峰北方1里(500メートル)の河原で軍刀を以って殺害させた」。

 1936年9月上旬頃、中国人民3名を部下に命じて「赤峰北方1里(500メートル)の河原で軍刀を以って殺害させた」。また1名を自動車で満鉄赤峰病院に送って、「川崎院長は1名の日本人医師(名は記憶していない)と2名で劇薬注射で殺害解剖試験の上死体を病院構内に埋めた」。

 1936年10月中旬頃、部下に命じて3名の愛国の中国人民を「赤峰北方500メートルの河原で拳銃を以って銃殺させた」。 1937年9月3日、部下に命じて張家口第一監獄に収監されていた中国人民を監獄の「南方100メートルの草原の中に連行銃殺させた」。

 1937年9月4日、部下に命じて2名の中国人民を「張家口東方1キロメートルの草原で拳銃を以って銃殺させた」。 1937年9月15日、中国軍捕虜1人に対して、部下に命じて「トラックで大同西方2キロメートル位の畑の草原中に連行し、銃殺させた」。

 1944年1月前後、「ソ連諜者」は「利用工作の価値が無いので」、「特移扱いとして」「ハルビン石井部隊に送り、細菌の試験に供した」。

 1945年8月11日、「戦争もあることだろうから戦時有害分子を釈放するのは困ると思われ、処置して撤退準備せよ」と、未釈放だった中国人を殺害した。

(翻訳・編集/呉寒氷)

(新華網日本語)

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