アウシュヴィッツ強制収容所への再考:日本の指導者はドイツの指導者の胆略と勇気を取り出すべき

2014-01-29 11:39:57
新華網日本語より

 (資料写真)

    【新華社北京1月29日】国際ホロコースト記念日とアウシュヴィッツ強制収容所解放69周年の際、世界の数十カ国から来た代表が27日ポーランド・アウシュビッツで記念活動に参加した。

    アウシュヴィッツはポーランド西南部に位置し、5万人余りの住民しかいない小さな町だ。第二次世界大戦中、ナチス・ドイツがここに収容所を建設したため、この小さな町は世間の人々によく知られることになった。アウシュヴィッツ強制収容所はナチス・ドイツが第二次世界大戦中に建設した強制収容所1000ヶ所余りの中の最大のもので、大量のユダヤ人を含む百万人ぐらいがここで殺害されたことから、「死の工場」とも称されている。

    アウシュヴィッツ強制収容所はナチス・ドイツの犯したとてつもない大罪の歴史の証人となっている。1945年1月27日、ソビエト赤軍はアウシュヴィッツ強制収容所を解放し、当時そこには7000数人の生存者だけが残されていたという。強制収容所の中には人毛で織られた毛布約1万4000枚が発見され、また紳士靴4万足と女性靴5000足などの無数の死者の遺物も残されていた。1947年7月、ポーランド政府はアウシュヴィッツ強制収容所をホロコースト記念館に改造し、ナチスの様々な犯罪を暴き出すのに用いられている。

    2005年11月1日の第60回国連総会の全体会議で、毎年1月27日を「国際ホロコースト記念日」 とする決議案を全会一致で採択した。

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