中央檔案館が日本戦犯、笠実の中国侵略罪行自供抜粋を公開

2014-07-18 09:42:59
新華網日本語より

  重要な罪は次の通り。

  1939年11月、河南中牟縣の某村で「中央軍兵士2名を逮捕し」、「途中歩行出来なくなったので、畑中で刺殺した」。

  1943年11月25日より1945年8月15日まで、「私は壷関縣政府顧問を担任するとき、食糧と軽工業原料の掠奪より、壷関縣の平和住民150名を餓死させた」。一城と58箇村より掠奪した藁、高梁、小麦、蜀玉米等の食糧は合計1087万斤、羊毛約8千斤、羊皮約500枚、牛皮約30枚」。

  1943年12月、部隊を率いて壷関縣土河村に突入した時、「部落の南端の哨舎内で熟睡していた民兵一名を逮捕したので、私は彼を松田中尉に其の場で引渡し、翌日午後2時頃原田准尉に斬殺された」。

  1944年6月より10月にかけて、「壷関禾登村を討伐した。……戦闘中該村指導員1名と民兵10名を殺害した。」

  1945年2月、「縣政府教育主任陳某、新民小学校校長張士達と其の他の公務員6名を逮捕して」、縣長に「上記の者の殺害を命じた」。

  同じ1945年2月、壷関縣縣長に土河村に進攻するように命じ、「該村民兵18名を殺害した」。同月、劉寨村に進攻させ、「該村民14名を一軒の家屋と共に焼殺した」。

  1945年3月、部下に「壷関三王頭孫を討伐する」よう命令し、「日本軍は軽機関銃を以て掃射し、19名の平和な居民を射殺した」。(翻訳・編集/呉寒氷)

(新華網日本語)

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