中央檔案館が日本戦犯、木村光明の中国侵略罪行自供抜粋を公開

2014-08-02 15:45:39
新華網日本語より

(侵华战犯自供·图文互动)(2)中央档案馆公布日本战犯木村光明侵华罪行自供提要

 重要な罪は次の通り。

 1939年3月、邯鄲縣城内に普通の中国民衆を「検問検索」する際、随意に「挙動不審者2名を逮捕し、配属憲兵大島軍曹に引き渡した」。

 1942年3月、私が古北憲兵隊を指揮し、密雲縣石匣鎮に於いて「八路軍の地下工作員30名位を『逮捕』し、現地に佐藤分隊長に『取調』を命じた」。4月、興隆縣「六道河子に於いて八路軍の『地下組織』の150名位を『逮捕』し、内130名位を投獄した」。

 1943年1月頃、「私は喜峰口憲兵を指揮し……、九虎嶺に於いて八路軍の『地下組織人員』約150名を『逮捕』にした。」其の後取調の結果、「送致した70名、拷問による死者7名を出した。」

 9月、喜峰口憲兵分隊を指揮して、「青龍縣喜峰口西方8キロメートルの地点に於いて八路軍の地下工作員50名を、鉄門関西方4キロメートルの地点で同様30名を『逮捕』し、『取調』を今笠井分隊長に命じた。」

 同年、憲兵を指揮して、武力を用いて野蛮で分散して居住していた農民を追い払い、家屋を取り壊して、「既存の家舎に併合する」。「熱河省の興隆、青龍、滦平及び『カラチン』中旗に無住地帯設置した」。

 1941年5月から1944年10月迄の間、「私が承徳憲兵隊に於いて八路軍の愛国者を『逮捕』した事件は……推定約30件、人員80名であり、前記のと総計して、警察庁への送致者は163名位であると推定する」。

 1945年4月、偽東安河鶏寧縣の商人XXXがソ連の回し者であるとの名義で、其の娘を憲兵分隊に連れて来て、自分の住宅で飯炊をするよう強いていた。7月頃、長男が不在する時、「飯炊女のXXXを見ると性欲を起し……私は其の場で本人を強姦した。」以後も長期間に其の女を占有していた。

(翻訳・編集/呉寒氷)

(新華網日本語)

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