重要な罪は次の通り。
1939年2月上旬、情報を貰い、「共産党地下組織が依蘭縣城内にあるの発見し」、依蘭縣警務科長中野に「関係者100名以上を検挙させた。拷問を加えて訊問したの為、1名の愛国者はヘルニヤ病激化し、死に至らせた。他の1名の愛国者を佳木斯に渡送途中、松花江に投身し、自殺させて殺害した」。
8月頃、「関係愛国者60名以上を検挙し、拷問を加えて訊問、17名以上の愛国者を法院に送り、其の内10名以上の愛国者を死刑に処して殺害させた」。
10月頃、通河縣共産党愛国者たる一警尉が、監獄内の政治的愛国
者と連絡し、義挙した。義挙を鎮圧するため、「訊問の結果、判明らせた事件関係愛国者100名以上を検挙し、その内30名以上の愛国者を法院に送り、内10名以上を死刑に処す犯罪を犯した」。
11月頃、湯源縣水泡子附近の農家にソ連と連絡する交通員が2回宿泊させた情報を入手したため、加藤警正を派して「その農家の2名の平和居民を検挙し、拷問を通して訊問した。其の為、1名を殺害したが、他の1名は証拠不充のため釈放した。」
1941年2月より7月迄、肇州縣に在職中、「検挙した愛国者の総数は約200名、其の内約70名を法院に送り、死刑と宣告されたのが30名に達した。」
(翻訳・編集/呉寒氷)
(新華網日本語)
当社サイトのコンテンツは著作権法によって保護されます。無断転用、複製、掲載、転載、営利目的の引用は禁じます。