日本が頑として過ちを認めなく、懺悔しなく、反省しないことは、道義上許されない行為であり、国際社会の容赦できない行為でもある。さらには国際社会の信頼と尊重を得ることができない。右翼勢力横行の日本が懺悔しない犯罪者みたいに全力装備でコミュニティに戻り、隣人たちが最悪の場合の準備をし、狼退治の武器を用意するしかないと、人々は言うのはあたりまえのことである。
歴史を素直に認めるこそ、はじめて歴史問題という壁を越えられる。第二次世界大戦後、ドイツのブラント首相がポーランドでの「驚愕の跪き」は、大きな程度でドイツを歴史の罪がこの民族に与えた精神的鎖から解放させた。今年1月レニングラード防衛戦勝利70周年を記念した際、ドイツのガウク大統領はロシアのプーチン大統領への書簡で「ナチスドイツがソ連に対し発動した殲滅戦を思うと、深く悲しみを覚え、恥じ入るばかりだ」と表明した。これはまさに、正常な国が歴史に対する正常な態度である。ドイツは真心をこめた謝罪と反省をしたからこそ、はじめて今日のヨーロッパにおける指導力のある国に発展した。
侵略をどう見るか、日本の軍国主義がアジア人民に与えた苦痛とトラウマをどう見るか、第二次世界大戦後の国際秩序の手配をどう見るか、他国の領土や主権をどのように尊重するか。これは日本が深く反省し、正確な答えを出すべき問題であり、また現在の中日関係の困難を解決する鍵でもある。当然、もし日本側は自ら作った歴史問題という怪しい輪から抜け出さず、頑固に歴史の錯覚を作ることで国際正義を蔑視し続けるなら、我々も最後まで付き合いする。しかし、こんな結末は、きっと全日本民族にとって巨大な悲劇になるだろう。
(新華網日本語)
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