「8·15」、歴史認識及び戦争責任の原点
「8·15」の葛藤は、この日をどのように呼ぶかという点にも表れている。日本政府の正式な呼称では、8月15日を「敗戦日」ではなく、「無条件投降日」でもなく、「終戦日」と呼んでいる。この表現は、あの戦争が引き起こした罪悪とその教訓を完全に回避している。
日本の共同通信社の中村明前編集委員は、次のように分析している。日本の統治階級が敗戦を認めたくない理由は、戦争責任追及問題が浮上すること、特に、裕仁天皇及びその忠臣の戦争責任に関わることを懸念しているためだ。敗戦と投降を「終戦」と呼び、最終的に一種の洗脳となり果てている。
高嶋名誉教授は、次のように認識している。上は天皇の戦争責任を追及せず、下は一般民衆の戦争責任を反省していないために、歴史認識において深刻な誤差が生じている。これは日本とドイツの歴史的な責任追及における最大の違いだ。
沖松さんは次のように指摘する。日本は当時、一貫した誤った歴史観で敗戦を迎えた。しかし、国の指導者層にしても、一般民衆にしても、敗戦の根本的な原因を真に認識していない。多数の人々は敗戦をただ大変、遺憾だったと感じているが、日本がアジア各国に巨大な傷を与えた侵略戦争を何故、発動したのか、最終的に何故、失敗したのかについて、多数の人が正しく認識しておらず、深く掘り下げることをも望まない。日本人の中戦争を体験した高齢の元兵士を含めて、多くの人は日本が米国に負けたことを認めただけで、中国の戦場で敗戦したことを現在も認めていない。
「一人ひとりの日本人が『8·15』が一体、何を意味するのかを再び自分に問いかけるべきだ。」と沖松さんは述べ、その表情がまた重苦しくなった。
(新華網日本語)
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