忘却を拒んだ記憶のプロジェクト―瀋陽、「九一八」の記念に20年間警報鳴らし続け

2014-09-19 10:30:01
新華網日本語より

 

  【新華社瀋陽9月19日】18日9時18分、警報の音が瀋陽の全市に響きわたった。これは瀋陽市の防空警報が「九一八」を記念する20回目の響きだ。1995年に初めて「九一八事変」の記念日に警報を鳴らして以来、参加者は数十万人に達している。このプロジェクトの趣旨は「国辱を忘れるな、中国を振興しよう」の記念活動にあり、中国の東北地域から香江の両岸まで、すでに事変の勃発地から中国の百余りの都市まで広がり、国家や民族が歴史を銘記し、忘却を拒む一つの記憶のプロジェクトとなっている。

   民衆の提案を採り入れ警報を鳴らして記念する 活動は日ごとに豊富で固定化に

   1995年8月、抗日戦争勝利と世界反ファシズム戦争勝利50周年を記念するため、瀋陽市党委員会と市政府は今後毎年「九一八」の夜に瀋陽全市で警報を3分間鳴らすことを確定した。

   警報を鳴らし、鐘をつく方式で「九一八」事変を記念することは、瀋陽テープ総工場の退職した労働者・郝松青さんの一つの提案に由来する。郝松青さんは「偽満州国の亡国奴の経験は一生忘れられません。あの時中国人は毎日東へ向かって日本の天皇にお辞儀をせねばならなくて、今傷跡が治ってもその痛みを忘れてはいけません。」と語った。

   警報の音響が伝わる範囲は広く、鋭い音は人の神経を刺激させることができ、「九一八」事変の記念日の当日に、防空警報を鳴らして「九一八」が恥辱を忘れない日であることを人々に注意を促せるよう望んでいる。1995年、郝松青さんはこれらの考え方を手紙に書いて人民提案募集事務室に送り、間もなく瀋陽市党委員会からの返事を得て、そして当年からそれが実施されることになったという。

   1995年から瀋陽で警報を鳴らす式典が初めて行われてから、「九一八」事変に関する記念活動は日ましに豊富になり、そして規範化され続いてくることができた。主な内容は毎年9月18日の21時18分に、防空警報を全市に3分間鳴らすことだ。瀋陽のラジオ局、テレビ局は通常の番組を中断し、「国辱を忘れるな、中国を振興しよう」の画面と警報音をさしはさむ。市街地の規定区域の道路9本、大通り18箇所では「九一八」を寓意し、走行中の自動車は一律に運転をとり止めクラクションを鳴らす。

   警報を鳴らす前に、「九一八」歴史博物館前の残歴碑広場では、警世の鐘が14回つかれ、中国人民の抗日戦争の14年間を寓意した。2004年から瀋陽市はまた毎年公開で「鐘のつき手」を社会に向けて選抜し、この活動に参加性と大衆性をより富ませている。

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