忘却を拒んだ記憶のプロジェクト―瀋陽、「九一八」の記念に20年間警報鳴らし続け

2014-09-19 10:30:01
新華網日本語より

 

  儀式感が強く参画性が広範 瀋陽から全国の百都市までに広げる

  強い儀式感と幅広い参画性は瀋陽で警報を鳴らし、鐘をつく活動の特徴だ。体はその中で人心に深く入り込み、人に勇気を奮い起こして突き進ませるよう促すことのできる、たいへんすばらしい抗日戦争記念のやり方だといえる。

  瀋陽「九一八」歴史博物館の井暁光館長は、毎年9月18日に多くの大衆が博物館を訪れ、さまざまな形の記念活動に参加しており、最も多い時には1日に2万人を上回った。皆さんが国の恥を忘れずに共に歩んできたため、そして共通の民族のこだわりが凝集したためだと語っている。

  2007年の「九一八」には、ちょうど当時の小泉純一郎首相が靖国神社を参拝したすぐ後で、千人以上の各界の人々が警報を鳴らし鐘をつく式典に参加した。警報を鳴らすその時刻に、警報を鳴らし鐘をつく式典の現場に突然雨が降り出したが、市民らは雨の中で黙々としてたたずみ、大多数の人が傘をささず、またその場を離れることがなかった。多くの市民は、このような雰囲気を感じ取りに来たくて、中国人には気概がなければならないと表明していた。

  瀋陽で警報を鳴らし鐘をつく活動が行われる前は、多くの民衆は「九一八」に対してほとんど分かっていなかったという。瀋陽がこの活動を堅持し行ってから数年後には、大多数の市民がこの時代の歴史をよく知るようになった。

  瀋陽の「九一八」の夜に警報を鳴らし鐘をつく活動は、社会の各界に強烈な反響を引き起こした。2004年から、記念日の当日、景徳鎮、臨忻、成都などの百以上の都市で警報が鳴らされ、香港のビクトリア灣では、クルーズ船5艘もかつて瀋陽と同時に汽笛を1分間鳴らしていた。

   上一页 1 2 3 下一页  

010090080030000000000000011100381336550611