南京大虐殺殉難者国家公祭読本(小学校版)

2014-09-17 09:25:52
新華網日本語より

二、災難が降りかかる

日本軍による罪悪に満ちた振る舞い

手引き

    南京大虐殺は南京で日本軍により大規模な虐殺、強姦、強奪、放火など一連の戦争犯罪と非人道的犯罪行為のことだ。日本軍の大虐殺は1937年12月13日に南京を占領してから6週間も続いた。日本軍は大虐殺で武器を手放した軍人や罪のない民間人を30万人以上も気のままに殺害し、婦女強姦事件2万件以上を起こし、町中に強奪、放火した。この大きな災難をうけ、南京の三分の一の建築物が破壊され、物的損害は数えきれない。

図:中国侵略日本軍による虐殺現場の一つ

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殺人競争

    無錫から南京へ進撃する途中に、日本軍第16師団の向井敏明と野田毅二人の少尉は、彼らの将校からの激励を受け、互いに南京占領まで先に100人を斬った方が勝ちという「殺人競争」の約束をした。彼らは無錫から常州、鎮江・句容、湯山まで中国人を殺し続き、向井敏明は89名、野田毅は78名を斬った。どちらも百人未満のため、「競争」を続行した。12月10日の昼ごろ、二人は刃こぼれした軍刀を手にし、紫金山の麓で対面した。野田は「105人」、向井は「106人」を斬ったと言ったが、どちらが先に百人を斬ったかを断定できないため、150人斬り競争を始めた。『東京日日新聞』は彼らの暴行を連続報道し、彼らを「皇軍の英雄」と称していた。日本投伏後、この二人の戦犯は作戦期間中、共同で中国の捕虜および非戦闘員を連続虐殺した罪で、南京で正義の審判を受け、死刑執行された。

李秀英氏の刀痕だらけの体

手引き

    極東国際軍事裁判の判決によれば、南京陥落後、日本軍による婦女強姦・輪姦事件は二万件余りに達し、少女も老婦人も皆辱めを免れなかった。南京大虐殺の生存者・立会人である李秀英氏は日本軍の暴行に抵抗した際、残酷的に30数箇所も銃剣で刺された。体に傷跡が残っただけでなく、心にも深い傷が残った。

 

日本軍に傷つけられ、病院で治療を受けている李秀英氏

当時日本軍の暴行に抵抗する経緯を述べている李秀英氏

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    現在、南京大虐殺の生存者のほとんどが80歳以上と高齢になっており、その数は年々減少している。不完全な統計によると、2014年までに、生きている者は100人余りだけが残っているのだ。

    2014年7月6日、侵華日軍南京大虐殺殉難同胞記念館は南京大虐殺殉難者の遺族の名簿登録活動を起動したと宣言した。

    なぜこの活動に取り組むのか?記念館の研究員は積極的に生存者を探す期間中、一部の南京大虐殺殉難者の遺族・生存者の子孫が南京大虐殺の歴史に詳しいと気付いた。年長者たちが語った当時の悲惨な被害史は、後代の人々の頭に残った。これはまた歴史的史実を伝承させていくもう一つの重要なルートとなる。だから、引き続き南京大虐殺の生存者を探す以外、殉難者の遺族の登録を急ぐのも重要な仕事となっている。

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