五、平和を珍重
歴史の記憶
手引き
中国国内外を驚かせた南京大虐殺は、中国人民に永遠な苦痛をもたらした。それはナチス大虐殺と同様に、人類文明史上で最も暗い一ページである。この歴史を直視して南京大虐殺による犠牲者を哀悼し、悲劇の再演を回避するために、南京市人民政府は記念館や記念碑を築き、生存者を探し、歴史事実を再現する。平和を愛する人々も自発的に集会活動を行い、歴史を銘記、戦争に反対、平和を擁護する願いを表している。
江蘇省及び南京市社会各界人士は2013年12月13日、南京大虐殺に犠牲した76周年の30万同胞を追悼する儀式及び南京国際平和日集会を行った。
小学生たちは「蝋燭祭」を行っている。
松岡環などの日本人の友達が南京大虐殺犠牲者の名簿壁の前で哀悼している。
東史郎の懺悔
手引き
中国侵略旧日本軍の東史郎兵士は1987年の初め、日本で戦時の日記を公開し、中国侵略日本軍の暴行を暴き出した。同年12月13日、彼はわざわざ南京に来て謝罪し、その後幾度南京に来て懺悔したことがある。彼が日記を公開し、また南京に来て謝罪した振る舞いは、日本の右翼勢力からの妬みや恨みを引き起こし、日本の裁判所に提訴された。80歳以上の東史郎氏は裁判所で八年の長い期間にわたる南京大虐殺の真相に関する訴訟を堅持した。
東史郎氏が2000年2月27日に第六回中国に来た際、「犠牲者300000」の石壁の前に土下座して真摯に懺悔している。
シンドボルグバラ
南京大虐殺期間に、デンマーク人のシンドボルグ(Sindborg)はドイツ人のカル・キントル(Karl Günther)と共に、正義と人道の精神を踏まえ、江南セメント工場で約2万人の中国難民を救った。シンドボルグが南京で行った義挙を記念するために、デンマークの庭師は心を込めて一種の黄色バラを栽培し、それを「永久な南京・シンドボルグバラ」と名付けた。今は、友誼と平和を象徴するシンドボルグバラは既に南京で咲いている。
シンドボルグは江南セメント工場の難民区にいた。
シンドボルグバラ
『永遠な南京・シンドボルグバラ』の詞曲