四、正義の審判
日本戦犯を審判する
手引き
第二次世界大戦後、極東国際軍事裁判と南京审判战犯军事法庭がそれぞれ南京大虐殺の日本戦犯に審判を行った。この正義と邪悪の勝負する中で、法廷は証拠を充分にかき集め、法により審判を行い、最終的には悪事の張本人たちに化けの皮を剥がれさせ、あるべき制裁を受けさせた。
南京大虐殺の時、現場で日本軍の暴行を撮影したジョン・マギーさんが使用した撮影機とフィルム
極東国際軍事裁判が審判する場面
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ジョン・マギー牧師
普通の旧式撮影機が一台、原始的な映画フィルムが4箱、これは日本軍が南京で犯した罪の動かぬ証拠であった。撮影したのはジョン・マギーという米国の牧師であった。南京大虐殺の時、国際赤十字社南京委員会主席であるマギーはほぼ毎日に日本軍の焼き殺す淫をなでる血生臭い場面を目撃した。彼は命の危険を冒して、自分の撮影機で日本軍の暴行を撮影した。世の人々に大屠殺の真相を知らせるために、南京安全区国際委員会総幹事・米国人ジョン・マギーは撮影した原始的なフィルムを自分の灰色の駱駝毛のコードの中に縫い、勇敢に列車に乗った。当時、車両の中には完全武装な日本兵は満ちていて、マギーは成功裏に日本軍の厳しい検査を突破して最終的に貴重なフィルムを安全に護送し、上海のコダック会社でプリントした。
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極東国際軍事裁判は1946年5月3日の第一回開廷より、1948年11月12日判決を宣告完了まで、2年間続き、計818回開廷し、419人が証人として出廷し、779人が書面より証言して、受理した証拠は4336件があり、英文での審判記録は48412ページに及び、積むと2階建ビールほど高くて、判決書だけでも1231ページほど長かった。
葉在増が正義のガベルを叩く
手引き
1946年2月、中国南京審判戦犯軍事法庭が南京で設立した。石美瑜が裁判长を務め、宋書同、李元慶、葛召棠、葉在増などが审判官を務めた。2年間近くの審判では、日本のB級戦犯とC級戦犯計100人余を審判した。その中、葉在増が主審として南京大屠殺の主要戦犯・谷寿夫を審判するとき格別に目立てていた。
晩年の葉在増
日本戦犯谷寿夫が受審時の光景
日本戦犯谷寿夫への判決書